108の意味・アシュタンガヨガ

 私が、ヨガの世界・アシュタンガヨガに足をふみいれて文献を読み進めていると『ガヤトリマントラを108回唱えることで、高徳がもたらされる。』と書かれていました。直ぐに私は、ガヤトリマントラを調べました。

 

 ガヤトリマントラは、ヒンズー教における最高峰のマントラとされ、ヴェーダ聖典のエッセンスすべてを含むと言われている古いマントラのことである。と書かれていました。やはり、108回唱えることが大切なようです。

 

 私は、この『108』の数字がとても気になりました。そう、もうお気付きの方はいるかもしれません。『108』とは、仏教でいう煩悩の数なんですね。除夜の鐘やマントラを108回行うことで、煩悩に振り回される事のない様に清めると言うことなのでしょう。
また。108と言う数字は、数秘術では、それぞれを分けて考えます。

 

1は、全ての始まり。

 0は、無(創造)。
 8は、永遠。

 

 1+0+8=9
 9は、一つのサイクルの終わりであり、一桁の数字で最も大きな数であることから、力や支配。

 

 また、天才と言われるニコラス・ステラさんは、9は宇宙そのものを表し、全てであり、無でもあるとしています。

 

 偶然にしても面白いです。なんか、数字の意味があらゆる人種や宗教、文化を超えて私たちに影響を与えていると考えると、『私達は、一つであり何千年も同じ事を繰り返し、また、繰り返すのかなー?』なんて、空を眺めてしまいます。

 

 はい。話しをヨガに戻しますと、太陽礼拝を108回行うワークショップなどもあり、とても人気があるようです。そこで、私も108回ヴィンヤサヨガに挑戦してみたいと思います。
最低でも、1日1回。最長でも、108日108回。
どのような、変化があるのかが楽しみです。

挑戦!ヴィンヤサ ヨガ 108回

4日目 いきなりきました。悪魔の囁きです。ネガティブな感情がこみ上げて、やりたくないような気にさせられました。
しかし、これ嘘みたいですが、『気合です。』気合いで乗り気りました。終わったらとても清々しい気持ちです。

 

10日目 ふと気がつくと、お肉を食べたいと思いません。野菜ソムリエとして健康の為に、野菜やフルーツは意識して摂るようにしていますが、雑食全開スタイルだった私が、全くお肉を選んでいないことに気がつきました。とても不思議です。

 

その後は、ただただ無心にやり続けました。もちろん、悪魔は囁き続けます。しかし、その都度『勝ち』続けます。正直、『気合い』です。
大袈裟ですが、覚悟は1000日回峰行です。

 

21日目 なんかこの2、3日すごく神経質になっている感じがして、怒り口調になっている自分に気がついたので、直ぐさまコントロールしました。それでも、気がつくとピリピリしていました。

 

25日目 今までで最高に、全身にこわばりを感じました。もちろん、それで続行です。そして、この日はゆっく〜り、湯船に漬かりました〜。身体が解れ、汗をいっぱいかき、気持ちよい睡眠と目覚めを感じました。

 

26日目 ヴィンヤサヨガをやるのと同時に、ヨガスートラを一生節ずつ読んでいるのですが、最近は、その意味が以前に比べて理解できるようになってきているように感じます。
ヨギーに、なってきているのでしょうか?

 

29日目 最近は、音や映像についても神経質ぎみなり始めました。なぜか今は、無の空間がとても落ち着きます。こんな感じになったので、ガヤトリマントラ108回のリスニングをする事にしてみました。マントラの効果も楽しみです。

 

30日目 今日は、一つの段階が上がった感じがしました。断食5日目に似た感じでとても気持ちが良く、全ての思考において裏付けの無い自信や前向きなエネルギーが物凄く上がっています。

 

34日目 今日は、みなさんも気になっていると思われる。アーサナの変化についてです。アーサナは、毎日同じフローで行っています。そして、少しずつですが可動域の広がりと体内の意識感覚への高まりを感じます。指導霊のおかげかな!?
反面、無理をしていないつもりでしたが、梨状筋症候群を患った様で、この2、3日お尻が痛みます。決して無理は、駄目ですね。幸いにも、動けない程ではないので、上手く付き合っていきたいです。

 

35日目 最近、神とは何なのかを自問自答しました。スートラには、ヨガの訳は『結合』であり『ヨガ=心の死滅』と書いてあります。
ヨガというと、身体をリラックスさせたり柔軟にするポーズを思い浮かべますが、それは近年発達してきたもので、本来のヨガのごく一部でしかありません。本来のヨガは、心に対する理解とその完全な支配を容易にするための『心の科学』です。
この事実を知った時、ヨガを自然と受け入れ、またその世界を楽しんでいる自分に納得できました。
そして、今は『神=創造主』と感じ、また、アーサナを通してその存在と結合することができ、ニヤマに記される『神への献身』と繋がっているのではないかと感じます。

 

38日目 梨状筋症候群は少し軽くはなりましたが、肩まわりを含めて全身の疲労感を感じまし。それに伴ってなのか?悪魔(ネガティヴな感情や感覚)襲いかかって来ます。負けずに振り払い続けます。

 

39回目 身体の節々が痛みながらも続けていると、一瞬、自分という存在が分からなくなり『リラックス』と感じました。
そして、『外部の世界に執着しすぎている』ことを痛感しました。

 

44回目『中道・釈迦』という言葉が頭をよぎりました。調べてみると、仏教用語でありその意味は様々でした。その中に、釈迦が弟子に説法した『琴の弦』の話しがありました。この話知った時、キーワードが腑におちました。
そして、「自らが自らを落とし込む要因は、全ては執着ではないか? 執着が無くなることが、ヨガでいう解脱なのか?」 今は、アーサナを行うことで、身体の内側の感覚を探りながら、自然と思考形態を理解できている様な気がしています。

 

45回目 突如、猿の神様が浮かび上がりました。調べてみると、ハヌマンというヨガの猿の王様であり、偉大なるヨギであるジヴァ神の息子です。既にご存知の方もいるかも知れません。そう、西遊記の猿のモデルです。ハヌマンは、勇気、愛と献身、遊び好きな心の象徴で、太陽を師としてあがめ、スーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)行いました。また、バクティヨガには、ハヌマンに捧げる美しいチャントが数多くあるようです。
私の知らなかったインド神話であり、ヨガに通じるものだったので、勉強になりました。

 

46回目 余りにも、両足の裏側が突っ張るので、解決策が無いかと調べてみたところ『筋膜リリース』を知りました。
筋肉がスムーズに動くためには、筋膜の滑りの良さが必要です。
筋膜リリースとは、筋膜の萎縮や癒着を引き剥がしたり、引き離したり、擦ったりして正常な状態に戻すことです。また一つ勉強になりました。
やはり大切なのは、正しい姿勢と適度な運動、ストレッチ、そして筋肉のリラックスです。

 

49回目 スートラを読み改めて『八支則』を読み直すと、2010年から意識し始め取り入れていたライフスタイルが、既にヨガライフの始まりだった気がします。

 

51回目 気づくと最近、目覚めがものすごく良いです。これは、効果なのかもしれません。

 

54回目 全108回の半分の54回目を終了しました。肉体的にこれ程に疲労感があるとは思っていませんでした。「アーサナを行っているのに、思った以上に内観できている。」のが、正直な感想です。

 

63回目 「1日1小説」スートラを読んでいますが、その時々で考えたり感じていることが違うにも関わらず、直結するアドバイスを受け取ることができていて、気持ちが軽くなります。とても不思議です。
そして、今読んでいるスートラは、とても読みやすく公平的表現がされていますが、やはりヒンドゥー教がベースの思考によって著作・解説されているように感じています。
68回目 身体の強張りが、少し楽になりました。今日感じたのは、自分の癖です。アーサナを通して、自分の気付かなかった自分に気付くことができています。今は、これも、浄化に繋がると思います。

 

71回目 ガチガチだった身体が少しずつですが自然と楽になり、可動域も戻りつつあります。特別なことは行っていないので、なんかとても不思議な感覚です。「体内では、破壊と再生、陰陽などのエネルギー交換が行われているのかなー?」なんて感じています。。すると偶然にも、過去に放送された地球のコアに迫る番組を見ました。地球は、相対する2つのエネルギーの交流によって活動しているようです。ハタ・ヨガも、太陽と月の統合です。「地球と身体、そして、この世界は、2つのエネルギーの交流によって成り立っているのでしょうか?」

 

75回目 約2年半伸ばしていた髪を、今回切ることにしました。何があった訳ではありませんが、これもアーサナ108回業の浄化作用なのでしょうか?そして、決心した時に、ふと仏陀 スッタニパータ 蛇の章「…あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てる様なものである。」と言う言葉が、聞こえました。

 

82回目 ふと「魂、前世、指導霊、潜在意識は、リンクしているのかなー?」って思ってしまいました。過去の記憶が潜在意識や指導霊、魂として私達に気づきを与えてくれているのでしょうか?

 

98回目 身体の強張りのピークは少しずつ以前の稼働域に戻りつつあります。身体の感覚については、以前より感じることができています。後10回でこの業が終わります。不思議なもので、あんなにも過酷だったのになんか少し寂しくも感じます。でも、日課になったので、可能な限り継続できたらと思っています。
そして、今のペースだと108回目を終えた後に、そのままチェンマイリトリートツアーになります。更に、偶然にも私の尊敬する方もチェンマイにいらっしゃる様なので、会えたら幸いです。
スートラや霊的な書物を読んでいるとやはり『神』というワードは切り離せません。以前35回目では、『神=創造主』と表現しました。これは、ヨガを行っている人にはよくありがちな感覚かもしれません。最近は信仰という視点から、「それは、何?」と自問自答してみました。そして今、それは、『繁栄の法則』と感じています。

 

105回目 ここ数日で、身体の強張りが軽減され可動域がましました。そして、「覚醒!?」と思うぐらい、内なる生命力の高まりを感じます。アーサナに関しては、特別な進歩はありませんが、身体の感覚や状態を今まで以上に感じとることができています。

 

ヴィンヤサヨガ108回業を終えて

 この度、ヴィンヤサヨガを無事に終えることができたので、過去の記事を読みながら心身のへんかを、振り返ってみました。
そこには一つのドラマがありました。最初のうちは、「やりたくないなー。意味あるのかな?何の為?」等のネガティブな気持ちとの闘いでした。大げさですが、それはまるで、イエスが荒野で悪魔と闘った49日間の様です。その後は、全身の強張りです。ガチガチで腰も足も腕も肩も曲げる事ができませんでした。寝ている間にも痛みが酷くで、夢の中で、「身体を切り裂いて欲しい。」と願ったくらいです。この様な状態を支えてくれたのは、1日1小説のスートラです。スートラを読むことで、前むきな気持ちを維持する事ができ、様々な気づきを得ました。今、最も強く思い出すのは、『信仰力』です。信じる力の無限さと信じることの大切さです。信じることは希望を与え、未知なるエネルギーさえも引き出してくれます。100回目を超えたぐらいから、身体は急速に自然と可動域を取り戻し、内なる平和と調和を感じることが出来ています。そして今、私は、奇跡とは自然現象であり、決して特別なことでは無いと思っています。なぜなら、今回身をもって体験したからです。
108回業を通して、このようなギフトを頂けたことに心から感謝します。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。みな様に、勇気と希望を与えられたら幸いです。